知的生産ブログ


 
 

さかなクンが書いた「asahi.com :教育 - いじめられている君へ」という文章に対して、私は

内容はともかく、とても非論理的な文章であるように感じるのだが。

と、はてなブックマークにおいてコメントしました。そう感じた理由を考えました。

まとめ


  • パラグラフの冒頭の接続詞や副詞句は、パラグラフ間の関係を読み手が間違いなく捉えるように書くこと。

  • 類似した内容の2つのパラグラフの片一方にだけに別の内容を加えて書かないこと。

  • 導入部は読み手を混乱させないように書くこと。


非論理的な文章であるように感じた理由


非論理的な文章であるように感じた理由は、構造が崩れている点にあると考えます。具体的には、以下の点があたります。

1. パラグラフの冒頭の接続詞が、パラグラフ間の関係を表わしていない


第2パラグラフの冒頭「でも、さかなの世界と似ていました。」において、「でも」という逆接の接続詞が使われています。

しかし、逆接なのは第1パラグラフの最後の文「突然のことで、わけはわかりませんでした。」と「でも、さかなの世界と似ていました。」の関係だけです。第1パラグラフと第2パラグラフは、逆接ではありません。

「でも、さかなの世界と似ていました。」を第1パラグラフの最後に付けて、第2パラグラフは「たとえばメジナは...」から始める方がよいのではないでしょうか。そうすれば、第2パラグラフが例を示しているパラグラフだと一目で分かります。

2. 類似した内容の2つのパラグラフの片一方にだけに別の内容が加えられている


第4パラグラフは、第3パラグラフに書かれた魚の世界の話を、中学校の吹奏楽部での話に、類似で展開したパラグラフです。よって、第4パラグラフの内容は、第3パラグラフに類似した内容に留めるべきです。

しかし、第4パラグラフの最後に「だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。」という記述があります。パラグラフのトリをしめているので、重要な記述であるように読めます。しかし、第3パラグラフに「だれかが隣にいるだけで安心できる」という内容は書かれてありません。

別のパラグラフにそのことを書くか、パラグラフを形成するまでに至らないならば記述しない方がよいのではないでしょうか。

その他、読んでいて混乱を起こした理由


その他にも、この文章には読んでいて混乱を起こす点があります。

3. 導入部で混乱した


第1パラグラフの「いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。」と記述されていますが、説明が全くないので「なぜ?」「読み方を間違えているのかな」と私に混乱を生じさせました。

導入部は読み手を混乱させないように書く方がよいです。

「いばっていた先輩」は、その後、文書に登場しないので、記述しない方がよいのではないでしょうか。

4. まとめで混乱した


第5パラグラフはまとめのパラグラフです。しかし、冒頭の「ぼくは変わりものですが、」が、さかなクン個人に注意を向けさせる記述であり、私は混乱しました。

文中の「が、」は、本来、逆接の意味を持ちます。さかなクンもその意味で使っています。しかし、順接の意味も持ちます。そして、パラグラフの冒頭に書かれた場合に、私は順接の意味を強く感じます。これは、たとえば問い合わせの返信メールに、「お尋ねの件ですが、...」と書いてある場合にどう解釈するかを考えていただくとお分かりになると思います。

私には、まとめのパラグラフ全体が「変わりもの」のさかなクンに限った内容のように見えてしまいました (本エントリーの1.を参照)。

「変わりもののぼくでさえ、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。」ならば、一般的な事柄「大自然のなか、さかなに(:好きなことに)夢中になっていたらいやなことも忘れます」に焦点があてられています。この方がよいのではないでしょうか。
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