知的生産ブログ


 
 

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「観点を変えて質問をすると、...」
 
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探偵ナイトスクープ 「音をたてずにタクアンを食べる?」(2008/ 6/13 放送)


「音をたてずにタクアンを食べる」方法を、大根の筋の配置から導き出した高野山の住職。

「音をたてずにタクアンを食べる」ことができるようになるという「修行」を成功させた一番の成功要因は、音の原因を大根の筋に見つけた観察であった。

「心」でいくら考えても分からない。自然を全感覚で見つめてこそできる、不可能の可能化であった。


これが、無の境地なのではないか。


松岡 修造 氏のカレンダー「まいにち、修造! 」には、「性格は変えられない。でも、心は変えられる」という言葉がある。

「心」と「性格」を分離しているところが俊逸である。

「心」は 私、
「性格」は 感覚に対する反応の規則 であると考える。

「心」を無にしても、「性格」は、はたらき続ける。そして、「性格」=感覚に対する反応の規則 の大部分は、理性的である。なぜならば、理性的でなければ、生きて来られないはずだからである。

自動車が自分のほうに向かってきたならば、避ける――これは、自動車と自分の衝突を回避する理性的な反応である。決して、自動車が自分の体をすり抜けるという非理性的な思考からではない。

ビル屋上の縁(ふち)から先には進まない――これは、落下し死ぬのを回避する理性的な反応である。決して、空を歩けるという非理性的な思考からではない。

佐藤 一斎 の「言志後録」には、次の言葉がある:

佐藤一斎 : 言志後録 19条

欲に公私有り。情識の条理に通ずるを公と為し、条理の情識に滞るを私と為す。

訳:
佐藤 一斎=著 川上正光=全訳注 : 言志四録 (ニ) (講談社学術文庫, 1979) p.35.

この欲には公欲と私欲がある。
 感情意識の動きが理性に通じている場合が公欲であり、理性が感情意識の動きに衝突し滞ってしまって通じない場合が私欲である。


無「心」において、感情意識は、理性に通じる。このときの状態は「公」であり、全ては此処にあり、全てを越えたものなりである。
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海老に関するメニュー偽装に関する報道は、芝エビとバナエイエビを食べ比べて、

 食べ比べたら分かるよね、でも単品で出されたら分からないよね

というオチがつくのが、常である。

すなわち、「比較せよ」。比較しなければ、分からない。

関連:
井上 真琴 : 図書館に訊け (ちくま新書, 2004) p.91.

 作家の林望氏が口を酸っぱくして言うことがある。「ものというのはいくらどれほどの注意力を込めてにらんでも何もわからない。けれども、二つを並べて比べてみると、ちょっとした努力でものの本質がわかってくることが知れる」(林望×紀田順一郎×荒俣宏「書誌学の思想」、紀田順一郎・荒俣宏著『コンピューターの宇宙誌』ジャストシステム、一九九三)

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岡倉覚三 : 茶の本 (岩波文庫, 1961) p.48.

真理は反対なものを会得することによってのみ達せられる。


エリヤフ・ゴールドラット=著,三本木 亮=訳: ザ・チョイス―複雑さに惑わされるな! (ダイヤモンド社, 2008) p.198.

そして、そういう時にこそ『ものごとは、そもそもシンプルである』という考えが役にたつんだ。どんどん掘り下げていくと、原因は収束していく。収束とは根本的な原因には一つの結果だけではなく、複数の結果が伴うということを意味する。つまり、『ものごとは、そもそもシンプルである』を信じることができれば、どんな原因にも、それに伴って、少なくとも二つ異なる結果が生じていると思って間違いない

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