知的生産ブログ


 
 

2014 54th ACC CM FESTAVALにおいて、テレビCM部門の「ACCゴールド」受賞作品のなかに、東海テレビ放送の自社キャンペーン 特別な日篇/ふたつの取材班篇/記者とカメラマン篇/気持ち篇/震災バブル篇/忘れないで篇がある。



その「震災バブル篇」 では、

 「記者には、言わせたいセリフがあった。」

という言葉が大きく映される(上記動画の3分00秒付近から)。

このCMは、メディアがもつ恣意性を よく認識できる、メディアリテラシーの優れた教材であるといえる。



ここから思考を進める:


恣意性は、メディア特有のものか。

否。世界は恣意性にあふれている。反証に耐えた、或いは反証され得ない、恣意的に作られたストーリーが、世界を支配している。


対メディアだけならば、恣意性に対する考慮を特定の領域にのみ向けていればよい。しかし、恣意性にあふれた世界において、それに対する考慮を行うことは、水が悪い地域において生水を飲まないような、生存術(生き残るために必要な術)である。

 ・立場が異なる他の人も同様の認識であるか、
 ・論理的であるか、
 ・整合性のある数字が含まれているか、

例えば これらを、日常的、生活的に、問い続けなければならない。
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我々は、自然には、限られた方向からしか物事を見られず 見落としが生じる「単眼」しか持たない。現物を目の前にして、「単眼」は、あまり移動しない。

物事を多角的に見るためには、〈「単眼」の座〉を、人工的に予め作っておかねばならない。「単眼」を、強制的に移動させるのだ。

〈「単眼」の座〉は、現物を目の前に、瞬時には、作れない。

一旦、現物から距離をとって俯瞰して、原因推定など、思考を拡散させて、〈「単眼」の座〉を人工的にたくさん作るのだ。

たくさんの〈「単眼」の座〉からの視野は、予めの原因推定の正否だけではなく、予め思いついていなかった真の原因へと思考を導く。
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流布されている情報には、部分を全体として語っていることがある。

流布されている情報は、編集されている。編集のひとつの形態は、部分を全体として語ることである。例えば、個人のコメントを全体の真実として語る。

「世に流れてくる情報の多くは供給者側の“事情”が関係している」 抜粋 のひとつ大きな“事情”は、記者が短時間に多くの記事を書くことを求められていることである。
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現実を知るために、統計は強力な手段である:

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鎌池 和馬 : 新約とある魔術の禁書目録 3 (電撃文庫, 2011) p.369.

前提となっているグレムリンの情報源が全て「明け色の陽射し」に集中していた時点で、何か別の意図を付け加えられる可能性があるって思うべきだった!!


鎌池 和馬 : 新約 とある魔術の禁書目録 (電撃文庫, 2011) p.285.

「それだけに集中するな。... 常に複数の情報源を確保しろ」

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